文京区弥生にある「弥生美術館」は、明治・大正・昭和の挿絵から現代のイラストや漫画まで、時代を彩ってきた出版美術を公開している美術館です。
大正ロマンや昭和モダンの世界が堪能できるのはもちろん、新進気鋭のイラストレーターの企画展なども開催されており、年代を問わず多くのファンが訪れています。
弥生美術館のすぐ隣には、同じ入館券で観覧できる「竹下夢二美術館」が併設されていて、渡り廊下で行き来できるようになっています。
美術館創設につながった少年の日の感動
弥生美術館は、大正から昭和初期にかけて一世を風靡した挿絵画家・高畠華宵(たかばたけかしょう)の作品を多く所蔵しています。
美術館の創設は、昭和59(1984)年。
創設者である弁護士の鹿野琢見(かのたくみ)は9歳の時、高畠華宵が描いた一枚の絵「さらば故郷!」と出会い、深い感銘を受けたそうです。
昭和41(1966)年、華宵は78歳で生涯を閉じますが、その後、華宵の著作権を得た鹿野によって、華宵のコレクションを公開するための弥生美術館が開館します。
華宵の死から18年後、熱烈な華宵ファンであった鹿野にとって念願の創設だったのです。
東京大学の弥生門の向かいに位置する美術館
弥生美術館への最寄り駅には、東京メトロ千代田線の根津駅や南北線の東大前駅がありますが、どちらの駅からも歩いて7分ほどかかります。
道路を挟んで美術館の斜め前には、東京大学本郷キャンパスの通用門の一つである「弥生門」があるため、この門を目指していけば迷わずに行けるでしょう。
また、御茶ノ水や上野方面から都営バスに乗って「東大構内」や「弥生二丁目」のバス停で降りると、美術館の入り口まで歩いて数分でアクセスできます。
文京区のコミュニティバス「B-ぐる」のルートからは少し離れた場所にあるため、利用する場合はルートマップを確認しておくことをおすすめします。
都市化された現代の住宅街に残るノスタルジー
根津駅から言問(こととい)通りの弥生坂(別名:鉄砲坂)を上がっていくと、道路の左手に「弥生式土器発掘ゆかりの地」の石碑が立っています。
文京区弥生は、弥生式土器の発見地。
明治17(1884)年、東京大学の坪井正五郎、白井光太郎、有坂鉊蔵の3人が、根津の谷に面した貝塚から赤焼きの壺を発見しました。
その後、縄文式土器とは異なるものと認められ、発見地の地名を取って「弥生式土器」と名づけられたそうです。
美術館の入り口は、暗闇坂の名が残る比較的明るい道路沿いに面しています。
斜め向かいの弥生門に出入りする東大生や関係者の姿があるものの、静かな環境にあり、美術館の建物全体が閑静な住宅街に溶け込んでいる印象です。